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2008年03月27日

久米村 くめむら 方言<クニンダ>

現在の那覇市久米にあった中国系住人の集落。1606年(尚寧18)に渡来した夏子陽は栄中と称した。久米村人自身は唐営と称し、のち佳字をとって唐栄に改めた。その発祥は三十六姓の移住に始まる。しかし三十六姓の渡来については、洪武年間に明国から賜ったとする説(1392年か96年あるいは98年)と洪武・永楽の間に各18姓ずつ賜ったとする説があるが、実際は、李朝成宗10年(1479)の記録(『李朝実録』)に<唐人商販に来り、因居する者あり>とあるように、商売にやって来てそのまま住みつくようになった者や、その他の理由で移住する者があり、自然発生的に唐人部落を形成し、それを三十六姓といったのだろう。久米村の称がいつ始まったかは明らかでないが、1450年頃できた「琉球国図」(『海東諸国記』所集)に<九面里>と記されていることから、その由来は古いと思われる。久米村の職とするところは、外交文書の作製、使者通訳から航海指南の役にいたるまで、多岐にわたっていた。少なくとも14世紀後半から15世紀後半までの、いわゆる大貿易時代の将来は、久米村人の活躍に負うところが大きかった。しかし、15世紀後半から貿易が衰退し始めると、久米村も衰微の一途をたどり、夏子陽渡来のころにはまるで廃虚のようになっていた。『久米村日記』も<大明末頃ハ、久米村人数致衰微老若僅か三十人程罷り成>と述べている。しかし、薩摩の琉球入り(1609)後、検地がおこなわれ、唐栄籍が設けられると事情は一変した。中国人の子孫で三十六姓の欠を補うという形で唐栄籍に編入された者、那覇・首里人で中国後に通じているものを唐栄籍にいれるなど、唐栄強化策がとられた。その結果人口が急増し、1699年(尚貞31)にはその繁盛を祝って通事以上の者が城中に招宴された。さらに地扶持が与えられるなど優遇策がとられた。その代わり職貢が義務づけられ村をあげてその職をまっとうするよう努力した。それについて『球陽』は<里人皆儒業をならい以って伝訳の職に任ず>といっている。
官生の派遣は1392年(察度43)に始まり、最初のころは、王親か重臣の子弟を送ったが、それも一応1481年(尚真5)でこの時点から320年間、官生は久米村人の独占となる。1802年(尚温8)、首里人・久米村人半々で派遣するようになり、官生騒動も起こる。
久米村人は、服装や風俗習慣など明の習俗にしたがっていたが、清朝が興るとその風に従うのを嫌い、1650年(尚質3)琉球の風俗に改めた。これを『球陽』は、<始めてカタカシラをゆい、改めて球陽の衣冠を用い、悉く国俗に従い、以て清朝に心服するの意を示す>と述べている。久米村人の信仰対象は、「儒教と道教で、域内にはそれに関する堂宮が多い。孔子廟・天尊廟・上下天妃廟・龍王殿・関帝廟がそれである。この2教は永く久米村人の精神生活を支えてきた。なお1718年(尚敬6)孔子廟域内に学校として明倫堂が設立された。
位階称号は若秀才->秀才->通事->副通事->都通事->中議大夫->正義大夫->紫金大夫と昇進する。それぞれ定員はない。紫金大夫は親方と称する。行政機関の長は久米村総役と称し紫金大夫から選出する。その下に長史2人がいて補佐する。属僚に筆者・暦通事・漢字筆者・系正などがある。1769年(尚穆18)以後、廃藩置県まで明倫堂を役所とした。

-沖縄大百科事典から引用ー


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この記事へのコメント
1672年孔子を書く(戦火)で歴史的貴重な物で失うわれたからだと思います!また明から清に代わり、その時の皇帝は、まんしゅうの人と聞いております!
Posted by 香品茶 at 2015年01月22日 15:52
松田道之は七月14日に首里城正殿にて藩おう代理の今帰仁おう尚ひつつに以下の内容を申し渡している。1~8まで有りますが8に鎮台分営の設置、まさしく一方的にされたものである。字が見えにくいので、またにします。
Posted by 香品茶 at 2015年02月17日 01:54
国学の成立と官生騒動、嘉慶元(1769)年の蔡世昌の建議、嘉慶3(1798)年、国学設置、同年、官生騒動、嘉慶11(1806)年、三平等、那覇、泊に学校所、聞いた話によると久茂地からも勉強に通っていたそうです。学問を楽しんだですね。
Posted by 香品茶 at 2015年11月15日 22:32
論語は難しいけど教える先生により楽しくて凄い勉強になります!さすがハイレベルな明倫堂です。関関⇒楽器?貝塚茂樹、吉川幸次郎、井波律子、凄い学者さんたちですね。徳川家康も取り入れたと学習しましたが。中国の最高学府である国子監への官生に選らばれるのも大変ですね。
Posted by チョコチップバニラチョコチップバニラ at 2016年08月30日 21:51
 
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