クニンダ屋取(やーどぅい)
近世後期、貧窮士族が首里(中央)を出て地方へ都落ちし、人里離れた地に小屋掛けして荒蕪地を開墾し農業を営んだ。屋取は他地に宿るの意。居住人と呼ばれ寄り集まって集落を形成していった。屋取は、西暦1700年代より士族人口増加などで、仕官できない貧窮士族が田舎へと落ちのびていった。具志川間切(旧具志川市)は、模式的な屋取集落が散在する地域である。
なかでも我が郷の、旧具志川市字西原は、クニンダ屋取といわれた、私が幼少の頃は部落民の90%がクニンダ子孫でした、もともとクニンダより都落ちした人々が集落を形成してできた部落であったが現在の人口は、県内あちらこちらより入ってきた寄留民の方が上回って元々の部落民はおそらく半分以下だと思われる。我が村は、『具志川やっちー小』という言葉を産み出した部落でもある、これは、なりは百姓で帰農しているのに気概は、いつまでもサムレー(士族)の気概でいることへの皮肉った言葉である、やっちーという言葉は士族が兄を呼ぶとき使うことばで、日本風でいうと兄上と呼ぶようなものである、直訳すると『具志川兄上ちゃん』といったとこでしょう。
お百姓さんは兄のことを『やっちー』とはいわないのである。
当時は、地元民とはあまり仲が良くなかったようである。
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