2011年08月07日
沖縄版一休さん、モーイ親方
モーイ親方は、実在する人物”伊野波盛平”のことである。唐名は毛克盛(首里毛氏8世)
1647(尚賢七)年に生まれる。父は24年間も三司官をつとめた伊野波親方盛紀で盛平は長男である。
1694(尚貞)年、47歳のとき三司官就任。彼は三司官就任前も就任後も政治力には、目を見張るものがあり、外交面でも、薩摩との親交に力を注ぎ活躍。世子尚純や世孫尚益の大親職もつとめたりして、内外の人望を集めたいへん優秀な人であった。ゆえに伝説になり沖縄芝居にも登場するのでしょう。
さて、私が小学校の時に見たモーイ親方の沖縄芝居の記憶をたどりながら書いてみます。
もちろん伝説・民話ですからおおげさに脚本されていたと思います。
子供ながらにこんなに頓知が利く人がいるのかと関心していた記憶があります。
以下に記します。
モーイが幼少のころ、『カンターモーイ(髪ボサボサ)、カンターモーイ(髪ボサボサ)』と友達にいわれ
それからモーイとあだ名を付けられました。髪がボサボサでいつも汚れて帰ってくる活発な子でした
ある日モーイが、片方に下駄、片方に草履を履いているのを友達が見てバカモーイ、バカモーイと
バカにされ、村中の笑いものになりました。心配した父親がお前はなぜ片方に下駄、片方に草履を履いているのだと尋ねると、『はい、下駄は父上に頂いた大切なもの、草履は母上から頂いた大切なものだから、どちらか一方を履くことはできません』、ばかもんと父にしかられますが、また翌日も平然と片方に下駄、片方に草履を履いているのです。父親は『どうしてこんなバカな子ができたんだろうね』となげいていました。だがモーイには秘密がありました。昼間はあいかわらずバカなそぶり、しかし明け方まだ暗いとき、屋根裏で毎日猛勉強をしているのです。誰にも勉強をする姿を見せたことがありません。そんな日が何年もたったある日、父親が仕事から帰ってくると、すごく達筆で書かれた漢文が、居間に落ちていました。父親は、これはすばらしい、さぞ名のある方が書いたものだろうとうなずいておりました。そこへモーイが帰ってきたのです。
『おいモーイよ、これを見てみたまえすばらし書だ。』『父上様それは、私が書いたものです。』というと『たわごとをいうなお前に書けるわけがない』と父は一喝しました。するとモーイは墨と筆を取り出し書いて見せたのです。『おお、ほんとうにお前が書いたのか、いいつの間に・・・』と、父は、泣いて喜
びました。それから数日後、父親がため息まじりで、しずんだ顔で帰ってきました。『どうされましたか?』モーイがたずねると、『お前には関係ない』とどなりました。『父上さま私は息子です家族ですよ、困ったことがあれば、家族には相談すのが筋ではないですか?』『それもそうだな、実は薩摩から今度の献上品で無理難題がきておるじゃ』『それはどのような品ですか?』『まず第1、雄鶏の卵、第2に琉球で一番大きい山、第3に灰で出来た縄、どれも不可能なものばかりどうしたものかなやんでおるのじゃ』モーイはしばらく考えると『父上様、私が解決致します私を薩摩へつかわして下さい』
『お前が、バカな』『父上様、私に妙案が御座います』というとモーイは父親に耳打ちします。
『うん、それはいいモーイよ父の代わりに行ってくれるか』『はい、喜んで』さっそく父親は首里城に
登り、モーイが薩摩への使いとしていけるよう便宜を図ります。そしていよいよ薩摩へ出航しました。
薩摩へ着いたモーイは、薩摩のお殿様の前に案内されました。『琉球から来た使者は、おぬしか?』
『はい、伊野波盛平と申します。』『こんな若造を送るとは琉球も落ちたものじゃのう』『して献上の品はもってきておろうな?』『殿様、若造の私が参りましたのは、実は分けが御座います。本来私の父
が参る予定で御座いましたが出立直前に産気付きまして、代わりに私が参ったのです。『なに、男
が産気付くとは、たわけたことを申すか』『その通りで御座います。雄鶏が卵を産むとはたわけたこと
で御座います』『ううん、これは一本とられたわ』『して琉球一の山はどうした?』『はい。それが琉球
一大きい山をもってこようとしたのですが、小国琉球では、山を乗せる程の船を作る技術がありませ
ん。大国の薩摩様であれば、このような大きい船もたやすく作れましょう薩摩様が船を作って頂ましたらすぐにでも山をお持ちいたします。『ううん、あっぱれじゃ、は、は、は、は、して灰の縄はどこか
な?』するとモーイが『例のものを此れへと部下に命じます』すると部下は、台の上に乗った普通の
縄をもってきました。『普通の縄ではないか?』殿様が言い終わるやいなやモーイは、縄に火を点けたのです一同のものは固唾を呑んで火を見つめます。そして火が燃え尽きると目の前には縄の形
を留めた灰が出来たのです。『これが灰の縄で御座います。』『は、は、は、は、あっぱれじゃ琉球
にもこのような頓知の利く知恵者がいたとは、いやはや実に愉快じゃそなたに褒美をつかわそう
なんでもいい、申してみよ』『殿様、私は何も欲しくありませんただ・・・』『ただなんじゃ』『いっときで
よろしいので、殿様のそのお座りの座にすわってみとう御座います』『なにー』家老たちが殺気立ちます。殿様が左手を横に上げ抑止します。『ここへ座りたいか、うん、うんよかろう』というと殿様は
上座から降ります。『さ、さ、すわるがよい』殿様に促されモーイは上座にすわりました。
『上から見るのは、とても気分がいいもので御座います』そして次にモーイが発した言葉に一同が
一瞬しーんとします。『ご家老此れへ』、家老は、モーイを睨みつけます、横から殿様が声を荒げます
『聞くのじゃ』『はは、』家老はモーイの前へ出ます。モーイは姿勢を正し改めてご家老に言いました
『ご家老』『はは、』『今琉球は、飢饉じゃ米も不作なのじゃ、税を軽減してやれ、そして今後米の
出来、不出来に応じ税を鑑みて収めさせるようにはからへ』『家老は、横の殿様の顔を覗います
殿様は、首を縦にふっていました。家老が答えます『はは、全て仰せのとおりに致します』
それを聞いてモーイは上座を降りました。『殿様、もう十分で御座います有難き幸せで御座いました。』殿様は、感心しきりで、モーイを褒め称えたのでした。
ちゃん、ちゃん おわり
追伸
私の記憶をたどって書きましたので、大筋はあっていると思いますが税の軽減命令のところは
よく覚えていないので脚色しました。
1647(尚賢七)年に生まれる。父は24年間も三司官をつとめた伊野波親方盛紀で盛平は長男である。
1694(尚貞)年、47歳のとき三司官就任。彼は三司官就任前も就任後も政治力には、目を見張るものがあり、外交面でも、薩摩との親交に力を注ぎ活躍。世子尚純や世孫尚益の大親職もつとめたりして、内外の人望を集めたいへん優秀な人であった。ゆえに伝説になり沖縄芝居にも登場するのでしょう。
さて、私が小学校の時に見たモーイ親方の沖縄芝居の記憶をたどりながら書いてみます。
もちろん伝説・民話ですからおおげさに脚本されていたと思います。
子供ながらにこんなに頓知が利く人がいるのかと関心していた記憶があります。
以下に記します。
モーイが幼少のころ、『カンターモーイ(髪ボサボサ)、カンターモーイ(髪ボサボサ)』と友達にいわれ
それからモーイとあだ名を付けられました。髪がボサボサでいつも汚れて帰ってくる活発な子でした
ある日モーイが、片方に下駄、片方に草履を履いているのを友達が見てバカモーイ、バカモーイと
バカにされ、村中の笑いものになりました。心配した父親がお前はなぜ片方に下駄、片方に草履を履いているのだと尋ねると、『はい、下駄は父上に頂いた大切なもの、草履は母上から頂いた大切なものだから、どちらか一方を履くことはできません』、ばかもんと父にしかられますが、また翌日も平然と片方に下駄、片方に草履を履いているのです。父親は『どうしてこんなバカな子ができたんだろうね』となげいていました。だがモーイには秘密がありました。昼間はあいかわらずバカなそぶり、しかし明け方まだ暗いとき、屋根裏で毎日猛勉強をしているのです。誰にも勉強をする姿を見せたことがありません。そんな日が何年もたったある日、父親が仕事から帰ってくると、すごく達筆で書かれた漢文が、居間に落ちていました。父親は、これはすばらしい、さぞ名のある方が書いたものだろうとうなずいておりました。そこへモーイが帰ってきたのです。
『おいモーイよ、これを見てみたまえすばらし書だ。』『父上様それは、私が書いたものです。』というと『たわごとをいうなお前に書けるわけがない』と父は一喝しました。するとモーイは墨と筆を取り出し書いて見せたのです。『おお、ほんとうにお前が書いたのか、いいつの間に・・・』と、父は、泣いて喜
びました。それから数日後、父親がため息まじりで、しずんだ顔で帰ってきました。『どうされましたか?』モーイがたずねると、『お前には関係ない』とどなりました。『父上さま私は息子です家族ですよ、困ったことがあれば、家族には相談すのが筋ではないですか?』『それもそうだな、実は薩摩から今度の献上品で無理難題がきておるじゃ』『それはどのような品ですか?』『まず第1、雄鶏の卵、第2に琉球で一番大きい山、第3に灰で出来た縄、どれも不可能なものばかりどうしたものかなやんでおるのじゃ』モーイはしばらく考えると『父上様、私が解決致します私を薩摩へつかわして下さい』
『お前が、バカな』『父上様、私に妙案が御座います』というとモーイは父親に耳打ちします。
『うん、それはいいモーイよ父の代わりに行ってくれるか』『はい、喜んで』さっそく父親は首里城に
登り、モーイが薩摩への使いとしていけるよう便宜を図ります。そしていよいよ薩摩へ出航しました。
薩摩へ着いたモーイは、薩摩のお殿様の前に案内されました。『琉球から来た使者は、おぬしか?』
『はい、伊野波盛平と申します。』『こんな若造を送るとは琉球も落ちたものじゃのう』『して献上の品はもってきておろうな?』『殿様、若造の私が参りましたのは、実は分けが御座います。本来私の父
が参る予定で御座いましたが出立直前に産気付きまして、代わりに私が参ったのです。『なに、男
が産気付くとは、たわけたことを申すか』『その通りで御座います。雄鶏が卵を産むとはたわけたこと
で御座います』『ううん、これは一本とられたわ』『して琉球一の山はどうした?』『はい。それが琉球
一大きい山をもってこようとしたのですが、小国琉球では、山を乗せる程の船を作る技術がありませ
ん。大国の薩摩様であれば、このような大きい船もたやすく作れましょう薩摩様が船を作って頂ましたらすぐにでも山をお持ちいたします。『ううん、あっぱれじゃ、は、は、は、は、して灰の縄はどこか
な?』するとモーイが『例のものを此れへと部下に命じます』すると部下は、台の上に乗った普通の
縄をもってきました。『普通の縄ではないか?』殿様が言い終わるやいなやモーイは、縄に火を点けたのです一同のものは固唾を呑んで火を見つめます。そして火が燃え尽きると目の前には縄の形
を留めた灰が出来たのです。『これが灰の縄で御座います。』『は、は、は、は、あっぱれじゃ琉球
にもこのような頓知の利く知恵者がいたとは、いやはや実に愉快じゃそなたに褒美をつかわそう
なんでもいい、申してみよ』『殿様、私は何も欲しくありませんただ・・・』『ただなんじゃ』『いっときで
よろしいので、殿様のそのお座りの座にすわってみとう御座います』『なにー』家老たちが殺気立ちます。殿様が左手を横に上げ抑止します。『ここへ座りたいか、うん、うんよかろう』というと殿様は
上座から降ります。『さ、さ、すわるがよい』殿様に促されモーイは上座にすわりました。
『上から見るのは、とても気分がいいもので御座います』そして次にモーイが発した言葉に一同が
一瞬しーんとします。『ご家老此れへ』、家老は、モーイを睨みつけます、横から殿様が声を荒げます
『聞くのじゃ』『はは、』家老はモーイの前へ出ます。モーイは姿勢を正し改めてご家老に言いました
『ご家老』『はは、』『今琉球は、飢饉じゃ米も不作なのじゃ、税を軽減してやれ、そして今後米の
出来、不出来に応じ税を鑑みて収めさせるようにはからへ』『家老は、横の殿様の顔を覗います
殿様は、首を縦にふっていました。家老が答えます『はは、全て仰せのとおりに致します』
それを聞いてモーイは上座を降りました。『殿様、もう十分で御座います有難き幸せで御座いました。』殿様は、感心しきりで、モーイを褒め称えたのでした。
ちゃん、ちゃん おわり
追伸
私の記憶をたどって書きましたので、大筋はあっていると思いますが税の軽減命令のところは
よく覚えていないので脚色しました。
2011年07月29日
近世琉球士族気質
近世琉球時代士族層の人々を指して表現した言葉がある。
首里人や揃い揃い、那覇人や汝走い走い、久米村人やくん転ばせ
(しゅいんちょーしゅりーじゅりー、なーふぁんちょーなーはいばい、くにんだんちょーくんくるばーしぇー)
・ 首里人は互いに揃って、那覇人はそれぞれ銘々で、久米村人は転ばしあって。
協調主義の首里人、個人主義の那覇人、競争主義の久米村人という、それぞれの気質を
あらわした言葉
私が思うに、とてもわかりやすく表した言葉だと思います。首里人は譜代の士族で保守派が多い
気がします。
那覇人は当時、役人(現代の警察官等)が多く住んでいたといいます。また商人が行き交うのも
那覇でした。
久米村人は、通訳官や漢字指南が主で、進貢使節、あるいは官生になるための競争が
あったと思われます。
首里人や揃い揃い、那覇人や汝走い走い、久米村人やくん転ばせ
(しゅいんちょーしゅりーじゅりー、なーふぁんちょーなーはいばい、くにんだんちょーくんくるばーしぇー)
・ 首里人は互いに揃って、那覇人はそれぞれ銘々で、久米村人は転ばしあって。
協調主義の首里人、個人主義の那覇人、競争主義の久米村人という、それぞれの気質を
あらわした言葉
私が思うに、とてもわかりやすく表した言葉だと思います。首里人は譜代の士族で保守派が多い
気がします。
那覇人は当時、役人(現代の警察官等)が多く住んでいたといいます。また商人が行き交うのも
那覇でした。
久米村人は、通訳官や漢字指南が主で、進貢使節、あるいは官生になるための競争が
あったと思われます。
2011年07月27日
クニンダ屋取(やーどぅい)
近世後期、貧窮士族が首里(中央)を出て地方へ都落ちし、人里離れた地に小屋掛けして荒蕪地を開墾し農業を営んだ。屋取は他地に宿るの意。居住人と呼ばれ寄り集まって集落を形成していった。屋取は、西暦1700年代より士族人口増加などで、仕官できない貧窮士族が田舎へと落ちのびていった。具志川間切(旧具志川市)は、模式的な屋取集落が散在する地域である。
なかでも我が郷の、旧具志川市字西原は、クニンダ屋取といわれた、私が幼少の頃は部落民の90%がクニンダ子孫でした、もともとクニンダより都落ちした人々が集落を形成してできた部落であったが現在の人口は、県内あちらこちらより入ってきた寄留民の方が上回って元々の部落民はおそらく半分以下だと思われる。我が村は、『具志川やっちー小』という言葉を産み出した部落でもある、これは、なりは百姓で帰農しているのに気概は、いつまでもサムレー(士族)の気概でいることへの皮肉った言葉である、やっちーという言葉は士族が兄を呼ぶとき使うことばで、日本風でいうと兄上と呼ぶようなものである、直訳すると『具志川兄上ちゃん』といったとこでしょう。
お百姓さんは兄のことを『やっちー』とはいわないのである。
当時は、地元民とはあまり仲が良くなかったようである。
なかでも我が郷の、旧具志川市字西原は、クニンダ屋取といわれた、私が幼少の頃は部落民の90%がクニンダ子孫でした、もともとクニンダより都落ちした人々が集落を形成してできた部落であったが現在の人口は、県内あちらこちらより入ってきた寄留民の方が上回って元々の部落民はおそらく半分以下だと思われる。我が村は、『具志川やっちー小』という言葉を産み出した部落でもある、これは、なりは百姓で帰農しているのに気概は、いつまでもサムレー(士族)の気概でいることへの皮肉った言葉である、やっちーという言葉は士族が兄を呼ぶとき使うことばで、日本風でいうと兄上と呼ぶようなものである、直訳すると『具志川兄上ちゃん』といったとこでしょう。
お百姓さんは兄のことを『やっちー』とはいわないのである。
当時は、地元民とはあまり仲が良くなかったようである。
2011年05月25日
うちなー口、ありんくりん10
うちなー口単語集
現在私が、知っているうちなー口の単語を書きます。思い出しつつ綴ってみますので
徐々に増えていくことでしょう。
しんめーなーび (鋳物の大きな鍋)
かまんたー (鋳物の大きな鍋のふた)
たむん (薪)マキ
しみ (学問)
でーくに (大根)
ちゅでーくにー (人参)
たまちさ (レタス)
たまなー (キャベツ)
うぃぐゎー (きゅうり)
しぃぶい (冬瓜)
ちゅぶる (ひるがお)
ちんくゎー (かぼちゃ)
なーしぃび (なすび)
ぅんむ (芋)
うすむとぅー (台所)
なかめー (居間)
うぃーぬじゃー (応接間)
くちゃぐゎー (私部屋)
あまはじ (雨端)
はーや (柱)
かーら (川原) (瓦)
たーいゆ (ふな)
とーいゆ (闘魚)
かーみ (甕)
まーす (塩)
さーたー (砂糖)
んんす (味噌)
ちきあぎー (さつま揚げ)
むち (もち)
むーちー (加工もち) 例:かーさむーちー
んんちゃ (土)
しな (砂)
むい (丘)
ひら (坂)
さきむい (結納)
なー (庭)
かむん (食べる)
ゆくさ (床下)
ゆくさー (うそつき)
じゅんに (ほんとに)
やん (そうだ)
あらん (そうじゃない)
ならん (できない)
ないん (できる)
かないん (適う)
かなーん (適わない)
にーぶ (ひしゃく)
みしげー (しゃもじ)
なびげー (おたま)
へーさん (はやい)
うっさん (おそい)
うんちゅー (おじさん)
にーせー (二才)
にーせーたー (二才達)
しんかんちゃー (皆の衆)
せーく (大工)
ふりむん (ばかもの)
りきやー (優秀な人)
りきらんぬー (劣る人)
てぃーぬかないん (腕力の強い人)
やーいじゃー
がんじゅう (頑丈、丈夫)
がんくー (頑固)
まーさん (おいしい)
まーこーねーん (おいしくない)
おーえー (喧嘩)
がーえー (我の張り合い)
ひとぅむとぅむん (朝飯)
あさばん (昼食)
ゆうばん (夕食)
うふぅちゅ (大人)
わらばー (子供)
わらばーたー (子供達)
わらびんちゃー (子供達よ)
ぬする (盗人)
ちくさじ (警官)
んじゃらー (悪人)
ばーき (竹製野菜入れかご)
みーじょーきー (竹製?入れかご)
ふたりーるー or さぎじょーぎー (竹製てんぷら入れ?)
けー (桑)
けー (肥やし)
ひーら (?)
いらな (鎌)
うめーし (お箸)
いぃん (すわる)
ながに (背中)
てぃじゅくん (こぶし)
いーび (指)
いーびなぎー (指輪)
じーふぁー (かんざし)
ちん (着物)
うーび (帯)
ぬーりー (喉)
ぬーりー (水草)
ぐしく (城)
いしがち (石垣)
たたん (畳)
るーぶに (足腰)
るーくる (自分で)
なんくるないさ (なんとかなる)
ぬーんならん (なにもできない)
ちゃーんならん (どうしようもない)
ちからん (聞こえない)
ちかりーん (聞こえる)
うふあびー (大声)
おびーん (叫ぶ)
あみーん (浴びる) *風呂に入る
ちら (顔)
やんめー (病)
るーやんめー (思い悩む)
まじ (たとえば)
やしが (しかし) or (だけど)
ちゃーぎ (イヌマキ科の木)
くるち (琉球こくたん) 高級さんしんの材料
ぎーまー (木の実)
くーび (木の実)
やまむむ (やまもも)
ばさない (バナナ)
くんぶ (柑橘系、シークァーサの一種)
ばんしるー (グアバ)
そーいっちょーん (賢い)
をぅたとーん (疲れた)
ゆくら (休もう)
あしぐぁーいって (一息いれよう)
いちゅび (のいちご)
しーりんぷー (肥溜め)
まやー (猫)
いん (いぬ)
えんちゅ (ねずみ)
とーびーらー (ゴキブリ)
はーべーるー (蛾)
やーるー (やもり)
あーたくー (キノボリトカゲ)
さんさなー (クマゼミ)
なーびかちかちー (アブラゼミ)
かんじょーみー (せみの幼虫)
いさとぅー (カマキリ)
そーろんまー (ナナフシ)
んんかじ (ムカデ)
ぎんがーみ (カナブン)
かちゃーすん (かきまぜる)
てぃれーいん (手間をとる)
ちゃんぷるー (ごちゃまぜ)
ちゅーじゅーく (強く)
やむん (痛い)
やまちらかし (さんざんなさま)
しりーとーん (せみのふ化(羽化) や ハブの脱皮)
んんじゃさん (にがい)
ぱたいすん (死んでしまう) フィリピンからの外来語
ふーる (トイレ)
なげーさん (長い)
いんちゃさん (短い)
たけーさん (高い)
ひぃくさん (低い)
てぃーだ (太陽)
ちち (月)
にーぬふぁぶし (北極星)
むるぶし (群星)
もーいん (踊る、舞う)
はんりとーん (外れている)
たっくぁとーん (くっついている)
やりとーん (破れている)
いーちゅー (糸)
くゆみ (暦、カレンダー)
かび (紙)
まーふっくゎ (真昼)
ゆーさんでぃ (夕方)
ゆーさんでー (気をつけないと)
まーまでぃん (どこまでも)
くわぁちー (ご馳走)
みーぐわぁちー (いいものを見た)
にじーん (我慢する)
にじららん (我慢できない)
やーぐな (家族)
ちゅやーぐな (家族全員)
やー (家)
みじらさん (珍しい)
みーしっちょーてぃきぃみそーり (お見知りおきを)
なーひん (もっと)
うひぃぐぁー (少し)
かんない (雷)
じーない (地震)
まがるーひぃぐー (曲がりくねった)
ちゃーあんしやさ (いつもそうだよ)
にっかなとーん (遅れている)
あんしにっかから (こんな夜おそく)
数え方、たーゆーむーやーとぅ (ニ 四 六 八 十)
むげーとーん (沸騰している)
ゆーゆぅっきぃとーん (日が暮れてきた)
はねーかち (はなやかして、にぎやかに)
なちゅん (泣く)
なかん (泣くな)
ちばりよー (がんばれよー or 気張れよ)
はまりよー (がんばれよー)
にーたさん (うらめしい or くやしい)
かながなとぅ (仲良く)
ひんぎーん (逃げる)
ゆんたく (おしゃべり)
なーじぃつー (?草)
がぎぃな (ススキ)
ぐしち (?草)
ぴーぐ (イ草)
ふーちばー (ヨモギ)
かんだばー (かずら)芋の葉
ゆうだんぎー (ゆうなの木)
あかばなー (ハイビスカス)
いじゅん (泉)
くむい (池)
むえー or ゆうりぃぐわー (摸合い、無尽)
くんち (根気)
うむさん (重い)
がっさん (軽い)
うむっさん (おもしろい)
やがまさん (うるさい)
しじかやん (静かだ)
ちぶるぅ (頭)
あかさん (明るい)
くらさん (暗い)
みーとぅんだ (夫婦)
ゆみ (嫁)
しとぅうや (姑)
むーく (婿)
なーめーめー (それぞれ)
なーはいばい (それぞれ散る)
なーちゅちべぃー (もう一息がんばろう)
よーそーけー (そのままほっておけ)
ゆーそーけー (良くしておけ)
ちんはじれー (着物をぬげ)
はんせー (はずせ)
まちぃぶとーん (からまる)
まちぃぶいかーぶい (糸がからまるさまにちなんでわけがわからないさま)三角関係とか?
りちいってぃ (力を入れて)
るぅくやん (やりすぎだ)度を超えている
あじまぁー (交差点)
ゆーちぃあじまぁー (十字路) *四方交差点
みーちぃあじまぁー (Y字路) *三方交差点
やしち (屋敷)
はんた (谷)
かーぶい (こうもり)
ひばり (ちんちなー)
めじろ (そーみなー)
すずめ (くらーぐわぁ)
すーさー (ひよどり?)
ほーとぅ (はと)
よろしくおねがいします (ゆたしくうにげーさびら)
北の風 (にーしぬかじ)
西の風 (いりぬかじ)
うすみっちょーん (満ち潮)
うすひちょーん (引き潮)
ちゅふぁーらなとーん (もうお腹いっぱい) *中国からの外来語
ちんぼーらー (さきのとがった巻貝)
あふぁけー (さきのとがってない巻貝)
ゆーしじーん (夕涼み)
やすんじとーん (ひらきなおっている)
うっちぇひっちぇくるさってぃ (こてんぱんにやられて)
しちゅん (好き)
しかん (嫌い)
まーかいが (どこへ行く)
まーんかいんいかんさ (どこへも行かないよ)
あい、ヒロシ なげーさる (やあ ヒロシ君 久しぶり)
やんやー、なげーさんやー (そうだなあ、久しぶりだなあ)
なまあ、ぬぅそーが (今は、どんな仕事をやっているの)
しくちぬねーん あしろーっさー (仕事がなくて、遊んでいるよ)
しわーすなけー くぬうち ゆーないさ (心配するな、そのうちよくなるって)
いちゅむし (生き物)動物
現在私が、知っているうちなー口の単語を書きます。思い出しつつ綴ってみますので
徐々に増えていくことでしょう。
しんめーなーび (鋳物の大きな鍋)
かまんたー (鋳物の大きな鍋のふた)
たむん (薪)マキ
しみ (学問)
でーくに (大根)
ちゅでーくにー (人参)
たまちさ (レタス)
たまなー (キャベツ)
うぃぐゎー (きゅうり)
しぃぶい (冬瓜)
ちゅぶる (ひるがお)
ちんくゎー (かぼちゃ)
なーしぃび (なすび)
ぅんむ (芋)
うすむとぅー (台所)
なかめー (居間)
うぃーぬじゃー (応接間)
くちゃぐゎー (私部屋)
あまはじ (雨端)
はーや (柱)
かーら (川原) (瓦)
たーいゆ (ふな)
とーいゆ (闘魚)
かーみ (甕)
まーす (塩)
さーたー (砂糖)
んんす (味噌)
ちきあぎー (さつま揚げ)
むち (もち)
むーちー (加工もち) 例:かーさむーちー
んんちゃ (土)
しな (砂)
むい (丘)
ひら (坂)
さきむい (結納)
なー (庭)
かむん (食べる)
ゆくさ (床下)
ゆくさー (うそつき)
じゅんに (ほんとに)
やん (そうだ)
あらん (そうじゃない)
ならん (できない)
ないん (できる)
かないん (適う)
かなーん (適わない)
にーぶ (ひしゃく)
みしげー (しゃもじ)
なびげー (おたま)
へーさん (はやい)
うっさん (おそい)
うんちゅー (おじさん)
にーせー (二才)
にーせーたー (二才達)
しんかんちゃー (皆の衆)
せーく (大工)
ふりむん (ばかもの)
りきやー (優秀な人)
りきらんぬー (劣る人)
てぃーぬかないん (腕力の強い人)
やーいじゃー
がんじゅう (頑丈、丈夫)
がんくー (頑固)
まーさん (おいしい)
まーこーねーん (おいしくない)
おーえー (喧嘩)
がーえー (我の張り合い)
ひとぅむとぅむん (朝飯)
あさばん (昼食)
ゆうばん (夕食)
うふぅちゅ (大人)
わらばー (子供)
わらばーたー (子供達)
わらびんちゃー (子供達よ)
ぬする (盗人)
ちくさじ (警官)
んじゃらー (悪人)
ばーき (竹製野菜入れかご)
みーじょーきー (竹製?入れかご)
ふたりーるー or さぎじょーぎー (竹製てんぷら入れ?)
けー (桑)
けー (肥やし)
ひーら (?)
いらな (鎌)
うめーし (お箸)
いぃん (すわる)
ながに (背中)
てぃじゅくん (こぶし)
いーび (指)
いーびなぎー (指輪)
じーふぁー (かんざし)
ちん (着物)
うーび (帯)
ぬーりー (喉)
ぬーりー (水草)
ぐしく (城)
いしがち (石垣)
たたん (畳)
るーぶに (足腰)
るーくる (自分で)
なんくるないさ (なんとかなる)
ぬーんならん (なにもできない)
ちゃーんならん (どうしようもない)
ちからん (聞こえない)
ちかりーん (聞こえる)
うふあびー (大声)
おびーん (叫ぶ)
あみーん (浴びる) *風呂に入る
ちら (顔)
やんめー (病)
るーやんめー (思い悩む)
まじ (たとえば)
やしが (しかし) or (だけど)
ちゃーぎ (イヌマキ科の木)
くるち (琉球こくたん) 高級さんしんの材料
ぎーまー (木の実)
くーび (木の実)
やまむむ (やまもも)
ばさない (バナナ)
くんぶ (柑橘系、シークァーサの一種)
ばんしるー (グアバ)
そーいっちょーん (賢い)
をぅたとーん (疲れた)
ゆくら (休もう)
あしぐぁーいって (一息いれよう)
いちゅび (のいちご)
しーりんぷー (肥溜め)
まやー (猫)
いん (いぬ)
えんちゅ (ねずみ)
とーびーらー (ゴキブリ)
はーべーるー (蛾)
やーるー (やもり)
あーたくー (キノボリトカゲ)
さんさなー (クマゼミ)
なーびかちかちー (アブラゼミ)
かんじょーみー (せみの幼虫)
いさとぅー (カマキリ)
そーろんまー (ナナフシ)
んんかじ (ムカデ)
ぎんがーみ (カナブン)
かちゃーすん (かきまぜる)
てぃれーいん (手間をとる)
ちゃんぷるー (ごちゃまぜ)
ちゅーじゅーく (強く)
やむん (痛い)
やまちらかし (さんざんなさま)
しりーとーん (せみのふ化(羽化) や ハブの脱皮)
んんじゃさん (にがい)
ぱたいすん (死んでしまう) フィリピンからの外来語
ふーる (トイレ)
なげーさん (長い)
いんちゃさん (短い)
たけーさん (高い)
ひぃくさん (低い)
てぃーだ (太陽)
ちち (月)
にーぬふぁぶし (北極星)
むるぶし (群星)
もーいん (踊る、舞う)
はんりとーん (外れている)
たっくぁとーん (くっついている)
やりとーん (破れている)
いーちゅー (糸)
くゆみ (暦、カレンダー)
かび (紙)
まーふっくゎ (真昼)
ゆーさんでぃ (夕方)
ゆーさんでー (気をつけないと)
まーまでぃん (どこまでも)
くわぁちー (ご馳走)
みーぐわぁちー (いいものを見た)
にじーん (我慢する)
にじららん (我慢できない)
やーぐな (家族)
ちゅやーぐな (家族全員)
やー (家)
みじらさん (珍しい)
みーしっちょーてぃきぃみそーり (お見知りおきを)
なーひん (もっと)
うひぃぐぁー (少し)
かんない (雷)
じーない (地震)
まがるーひぃぐー (曲がりくねった)
ちゃーあんしやさ (いつもそうだよ)
にっかなとーん (遅れている)
あんしにっかから (こんな夜おそく)
数え方、たーゆーむーやーとぅ (ニ 四 六 八 十)
むげーとーん (沸騰している)
ゆーゆぅっきぃとーん (日が暮れてきた)
はねーかち (はなやかして、にぎやかに)
なちゅん (泣く)
なかん (泣くな)
ちばりよー (がんばれよー or 気張れよ)
はまりよー (がんばれよー)
にーたさん (うらめしい or くやしい)
かながなとぅ (仲良く)
ひんぎーん (逃げる)
ゆんたく (おしゃべり)
なーじぃつー (?草)
がぎぃな (ススキ)
ぐしち (?草)
ぴーぐ (イ草)
ふーちばー (ヨモギ)
かんだばー (かずら)芋の葉
ゆうだんぎー (ゆうなの木)
あかばなー (ハイビスカス)
いじゅん (泉)
くむい (池)
むえー or ゆうりぃぐわー (摸合い、無尽)
くんち (根気)
うむさん (重い)
がっさん (軽い)
うむっさん (おもしろい)
やがまさん (うるさい)
しじかやん (静かだ)
ちぶるぅ (頭)
あかさん (明るい)
くらさん (暗い)
みーとぅんだ (夫婦)
ゆみ (嫁)
しとぅうや (姑)
むーく (婿)
なーめーめー (それぞれ)
なーはいばい (それぞれ散る)
なーちゅちべぃー (もう一息がんばろう)
よーそーけー (そのままほっておけ)
ゆーそーけー (良くしておけ)
ちんはじれー (着物をぬげ)
はんせー (はずせ)
まちぃぶとーん (からまる)
まちぃぶいかーぶい (糸がからまるさまにちなんでわけがわからないさま)三角関係とか?
りちいってぃ (力を入れて)
るぅくやん (やりすぎだ)度を超えている
あじまぁー (交差点)
ゆーちぃあじまぁー (十字路) *四方交差点
みーちぃあじまぁー (Y字路) *三方交差点
やしち (屋敷)
はんた (谷)
かーぶい (こうもり)
ひばり (ちんちなー)
めじろ (そーみなー)
すずめ (くらーぐわぁ)
すーさー (ひよどり?)
ほーとぅ (はと)
よろしくおねがいします (ゆたしくうにげーさびら)
北の風 (にーしぬかじ)
西の風 (いりぬかじ)
うすみっちょーん (満ち潮)
うすひちょーん (引き潮)
ちゅふぁーらなとーん (もうお腹いっぱい) *中国からの外来語
ちんぼーらー (さきのとがった巻貝)
あふぁけー (さきのとがってない巻貝)
ゆーしじーん (夕涼み)
やすんじとーん (ひらきなおっている)
うっちぇひっちぇくるさってぃ (こてんぱんにやられて)
しちゅん (好き)
しかん (嫌い)
まーかいが (どこへ行く)
まーんかいんいかんさ (どこへも行かないよ)
あい、ヒロシ なげーさる (やあ ヒロシ君 久しぶり)
やんやー、なげーさんやー (そうだなあ、久しぶりだなあ)
なまあ、ぬぅそーが (今は、どんな仕事をやっているの)
しくちぬねーん あしろーっさー (仕事がなくて、遊んでいるよ)
しわーすなけー くぬうち ゆーないさ (心配するな、そのうちよくなるって)
いちゅむし (生き物)動物
2011年05月25日
うちなー口、ありんくりん9
消えた(死語になった)うちなー口
3年程前、母方の南米ブラジルに住む叔母のカジマヤー祝いの為、両親と兄がブラジルへと
赴いた、そしてその時の感想を兄から聞かされた。 それは、なんと純粋なうちなー口が南米に
残っているというのである。会話は、うちなー口かポルトガル語である。
へたに内地イズムされてないため、沖縄では既に死語になった純粋なうちなー口が残っている
のでしょう。
例えば
えー しゃふん とぅ びんだれー ねーれー
(おい 石鹸 と 洗面器 くれ)
うめーし とぅれー
(お箸 とってくれ)
と このような言葉が飛び交っていたという。
私が幼少のころおばーがよく使っていた言葉です。今の沖縄人は、もう使わないでしょう。
3年程前、母方の南米ブラジルに住む叔母のカジマヤー祝いの為、両親と兄がブラジルへと
赴いた、そしてその時の感想を兄から聞かされた。 それは、なんと純粋なうちなー口が南米に
残っているというのである。会話は、うちなー口かポルトガル語である。
へたに内地イズムされてないため、沖縄では既に死語になった純粋なうちなー口が残っている
のでしょう。
例えば
えー しゃふん とぅ びんだれー ねーれー
(おい 石鹸 と 洗面器 くれ)
うめーし とぅれー
(お箸 とってくれ)
と このような言葉が飛び交っていたという。
私が幼少のころおばーがよく使っていた言葉です。今の沖縄人は、もう使わないでしょう。
2011年05月25日
うちなー口、ありんくりん8
うちなー口一般語(標準語)と、うちなー口地方(方言)語
うちなー口でもさらに地方語があり、微妙にちがいがある。一般的に首里言葉がうちナー口標準語
である。
本島内の地方言葉は地域によっては、うちなー口(標準語)一般語を話す人には聞き取りにくい
ところがある。一方その地域の人はうちなー口(標準語)一般語を聞き取ることができる。
本島内の微妙な違い、本部町あたりでは、ハ行を、パ、ピ、プ、ペ、ポで発音する。
おもしろい例があるので紹介しましょう。
例1、戦で初めて鉄砲を見て自分の鼻に弾が横からあたってしまった時の言葉
①.やんばる本部方面
ぽぅ ぬ さちから ぴぃー ぬ んんじてぃ ぱが ぱなや ぴりぷがちねーらん
(棒 の 先から 火 が 出てきて 私の 鼻は 吹き飛んでしまった)
②.一般的なうちなー口
ぼぅ ぬ さちから ひぃー ぬ んんじてぃ わん はなや ひりふがちねーらん
(棒 の 先から 火 が 出てきて 私の 鼻は 吹き飛んでしまった)
これを早口でいわれるとはうちなー口(標準語)一般語で話す人にはなかなか聞き取りにくい。
その他に
ひさ ぴさ
(足) (足)
ひーじゃー ぴーじゃー
(山羊) (山羊)
勝連方面も少し単語が違うのがある、また語尾の発音が上がるのが特徴である。
①.一般的なうちなー口 ②.勝連半島方面
あぎじゃびよー はんまよー
(わあー びっくりした) (わあー びっくりした)
いゃー いゃーみー
(君) (君)
わん わみー
(我) (我)
なー いちゅるばーい? なー いちーるふんね?
(もう 行くのか?) (もう 行くのか?)
また宮古島や八重山の方言は、本島と単語自体違うのがあるためほとんど分からない。
うちなー口でもさらに地方語があり、微妙にちがいがある。一般的に首里言葉がうちナー口標準語
である。
本島内の地方言葉は地域によっては、うちなー口(標準語)一般語を話す人には聞き取りにくい
ところがある。一方その地域の人はうちなー口(標準語)一般語を聞き取ることができる。
本島内の微妙な違い、本部町あたりでは、ハ行を、パ、ピ、プ、ペ、ポで発音する。
おもしろい例があるので紹介しましょう。
例1、戦で初めて鉄砲を見て自分の鼻に弾が横からあたってしまった時の言葉
①.やんばる本部方面
ぽぅ ぬ さちから ぴぃー ぬ んんじてぃ ぱが ぱなや ぴりぷがちねーらん
(棒 の 先から 火 が 出てきて 私の 鼻は 吹き飛んでしまった)
②.一般的なうちなー口
ぼぅ ぬ さちから ひぃー ぬ んんじてぃ わん はなや ひりふがちねーらん
(棒 の 先から 火 が 出てきて 私の 鼻は 吹き飛んでしまった)
これを早口でいわれるとはうちなー口(標準語)一般語で話す人にはなかなか聞き取りにくい。
その他に
ひさ ぴさ
(足) (足)
ひーじゃー ぴーじゃー
(山羊) (山羊)
勝連方面も少し単語が違うのがある、また語尾の発音が上がるのが特徴である。
①.一般的なうちなー口 ②.勝連半島方面
あぎじゃびよー はんまよー
(わあー びっくりした) (わあー びっくりした)
いゃー いゃーみー
(君) (君)
わん わみー
(我) (我)
なー いちゅるばーい? なー いちーるふんね?
(もう 行くのか?) (もう 行くのか?)
また宮古島や八重山の方言は、本島と単語自体違うのがあるためほとんど分からない。
2011年05月02日
リザンシーパークホテル名前由来
最近の沖縄リザンシーパークホテルのホームページを
見ると、当ホテルの由来となった鄭迵謝名親方利山の
事を説明しています。鄭氏門中としてはありがたく思います。
謝名親方のことが少しでも世にしれたら嬉しい限りです。
http://www.rizzan.co.jp/index.html
見ると、当ホテルの由来となった鄭迵謝名親方利山の
事を説明しています。鄭氏門中としてはありがたく思います。
謝名親方のことが少しでも世にしれたら嬉しい限りです。
http://www.rizzan.co.jp/index.html
2011年05月01日
謝名親方という男
謝名親方のことを『国難に殉じた重臣』とありますが、その言葉でしめるのは、如何なものかと
思います、私の主観ですが琉球史上もっとも優れた政治家だと思います。
勝てば官軍という言葉がありますが、薩摩が琉球を侵略したあと、謝名親方に戦争責任を
押し付けて徹底して謝名親方を悪者に仕立てようと薩摩は画策します。歴史書中山世鑑にも
謝名親方の『邪名』と蔑んでかいてあります。そうでもしないと大儀がないからでしょう。
よって謝名親方のことを悪く書いてある歴史書を、私は信用していません。
その当時の時代背景や、三司官就任に至る事がらを冷静に考えて見て下さい。
まず、三司官就任時、現職三司官の城間親方を讒言し、百姓に貶めて、自ら三司官に就任した
と学者も書いてありますが、これも信じる要素がまったくありません。
仮にそうだとしましょう。では、なぜ城間親方を讒言し陥れた謝名親方が三司官に就けるのか?
矛盾が生じます、あと二人の三司官が黙っているはずがありません。それに謝名親方は、久米村
出身で、三司官になれない身分です、異例で三司官に就いたのです。
しかも尚寧王が、推挙して成し遂げたのです。もし中山世鑑に書いてある事(尚寧王が重臣の
登用を誤った)が事実としたら、尚寧王はじめ、当時の三司官名護親方(名護良豊)や、浦添
親方(浦添朝師)が、政治に疎い馬鹿政治家であったというふうになります。
そんなはずはありません。十分吟味の上での謝名親方がふさわしい人物として三司官に就認した
ことでしょう。それはやはり謝名親方の説いている事が筋道が通り、皆が納得したからであろう。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時、薩摩より兵量米を収めるようにという命に、はっきりNOといったことも
正しい判断だったと思います。
当時琉球は、明国(中国)を宗主国として朝貢を受け進貢貿易で、財を成していました。
そして朝鮮国(現代の北朝鮮と韓国統一国)も明国(中国)を宗主国として朝貢を受けていた
明国(中国)最高学府国子鑑では、明国王侯貴族や、朝鮮国王侯貴族の子弟、そして琉球
からの官生(留学生)と7年もいっしょに学業を学んだ学友が諸国の要職におり、いわば兄弟国
みたいなもんです。そんな朝鮮国を攻めるための兵量米をだせるわけがありません。
琉球国からすれば、親国(明国)を裏切ることになります。
朝貢関係が崩壊すれば琉球にとっては死活問題です。
実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に明国は兵を出し朝鮮国を助けております。
そのお陰もあり、豊臣秀吉の二度に渡る朝鮮出兵は失敗に終わります。
謝名親方は彼の政治力、人となりが優れているからこそ、久米村から異例の三司官に就けたの
ですし、そして彼の政策は当時の琉球にとってまちがいでは、なかったと私は思います。
そして、ただひとり薩摩との戦争責任を負い刑場のつゆと消えたのです。
琉球の為、最後まで薩摩に屈することなくその一生を閉じたのです。
実に男気のあるたくましい人だったでしょう。
私は、思います。謝名親方の功績は、沖縄県で銅像を作るなりしてその功績を称えるべきでは
ないでしょうか。
謝名親方を単に『国難に殉じた重臣』で修めるには、あまりにもしのびない気がします。
思います、私の主観ですが琉球史上もっとも優れた政治家だと思います。
勝てば官軍という言葉がありますが、薩摩が琉球を侵略したあと、謝名親方に戦争責任を
押し付けて徹底して謝名親方を悪者に仕立てようと薩摩は画策します。歴史書中山世鑑にも
謝名親方の『邪名』と蔑んでかいてあります。そうでもしないと大儀がないからでしょう。
よって謝名親方のことを悪く書いてある歴史書を、私は信用していません。
その当時の時代背景や、三司官就任に至る事がらを冷静に考えて見て下さい。
まず、三司官就任時、現職三司官の城間親方を讒言し、百姓に貶めて、自ら三司官に就任した
と学者も書いてありますが、これも信じる要素がまったくありません。
仮にそうだとしましょう。では、なぜ城間親方を讒言し陥れた謝名親方が三司官に就けるのか?
矛盾が生じます、あと二人の三司官が黙っているはずがありません。それに謝名親方は、久米村
出身で、三司官になれない身分です、異例で三司官に就いたのです。
しかも尚寧王が、推挙して成し遂げたのです。もし中山世鑑に書いてある事(尚寧王が重臣の
登用を誤った)が事実としたら、尚寧王はじめ、当時の三司官名護親方(名護良豊)や、浦添
親方(浦添朝師)が、政治に疎い馬鹿政治家であったというふうになります。
そんなはずはありません。十分吟味の上での謝名親方がふさわしい人物として三司官に就認した
ことでしょう。それはやはり謝名親方の説いている事が筋道が通り、皆が納得したからであろう。
豊臣秀吉の朝鮮出兵時、薩摩より兵量米を収めるようにという命に、はっきりNOといったことも
正しい判断だったと思います。
当時琉球は、明国(中国)を宗主国として朝貢を受け進貢貿易で、財を成していました。
そして朝鮮国(現代の北朝鮮と韓国統一国)も明国(中国)を宗主国として朝貢を受けていた
明国(中国)最高学府国子鑑では、明国王侯貴族や、朝鮮国王侯貴族の子弟、そして琉球
からの官生(留学生)と7年もいっしょに学業を学んだ学友が諸国の要職におり、いわば兄弟国
みたいなもんです。そんな朝鮮国を攻めるための兵量米をだせるわけがありません。
琉球国からすれば、親国(明国)を裏切ることになります。
朝貢関係が崩壊すれば琉球にとっては死活問題です。
実際、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に明国は兵を出し朝鮮国を助けております。
そのお陰もあり、豊臣秀吉の二度に渡る朝鮮出兵は失敗に終わります。
謝名親方は彼の政治力、人となりが優れているからこそ、久米村から異例の三司官に就けたの
ですし、そして彼の政策は当時の琉球にとってまちがいでは、なかったと私は思います。
そして、ただひとり薩摩との戦争責任を負い刑場のつゆと消えたのです。
琉球の為、最後まで薩摩に屈することなくその一生を閉じたのです。
実に男気のあるたくましい人だったでしょう。
私は、思います。謝名親方の功績は、沖縄県で銅像を作るなりしてその功績を称えるべきでは
ないでしょうか。
謝名親方を単に『国難に殉じた重臣』で修めるには、あまりにもしのびない気がします。
2011年04月27日
うちなー口、ありんくりん7
うちなー口には、英語でいうところの現在完了形、過去完了形がある。
過去完了形は語尾に『たん』をつける。
例
ありがとうございます=にふぇーでーびる
ありがとうございました=にふぇーでーびたん
おいしゅうございます=まーさいびーん
おいしゅうございました=まーさいびーたん
休んでいます=ゆくとーびーん
休んでいました=ゆくとーびーたん
聞こえません=ちぃかやびらん
聞こえませんでした=ちぃかやびらんたん
忙しいです=いちゅなさいびーん
忙しかったのです=いちゅなさいびーたん
とこのように現在完了形、過去完了形とを使い分けるのである。
過去完了形は語尾に『たん』をつける。
例
ありがとうございます=にふぇーでーびる
ありがとうございました=にふぇーでーびたん
おいしゅうございます=まーさいびーん
おいしゅうございました=まーさいびーたん
休んでいます=ゆくとーびーん
休んでいました=ゆくとーびーたん
聞こえません=ちぃかやびらん
聞こえませんでした=ちぃかやびらんたん
忙しいです=いちゅなさいびーん
忙しかったのです=いちゅなさいびーたん
とこのように現在完了形、過去完了形とを使い分けるのである。
2011年04月25日
久米村(クニンダ)氏一覧
氏 緯 号 出身地 渡来(入籍)年 役職
鄭 義才 元橋 福建福州府長樂縣 洪武二十五年 長史
(1392年)
蔡 崇 弁亭 福建泉州府南安縣 洪武二十五年 不傅
(1392年)
梁 嵩 子江 福建福州府長樂縣 永楽年間 長史司
(1403~1425)
林 喜 祉止 福建福州府閔縣 洪武二十五年 通事
(1392年)
金 瑛 俊光 淅江人・元末南遊閔山 洪武二十五年 通事
紅 英 景華 不傅 閔人 洪武・永楽間 通事
(1368~1399) (1403~1425)
陳 萃 錫? 不傅 閔人 永楽年間 通事
(1403~1425)
王 立思 肖國 福建章州府龍溪縣 萬暦十九年(1591年) 通事
阮 明 文菴 福建章州府龍溪縣 萬暦十九年(1591年) 通事
阮 國 我? 福建章州府龍溪縣 萬暦三十五年(1607年) 都通事
毛 國鼎 台 福建章州府龍溪縣 萬暦三十五年(1607年) 長史司
鄭 肇祚 允保 福建福州府長樂縣 嘉靖年間 都通事
(1522~1566)
陳 萃 系出 萬暦四十五年(1617年) 都通事
楊 明州 淅江台州府 順治五年(1648年) 訓詁師
蔡 崇貴 福建西門外 嘉靖年間、豊後国より
(1522~1566)
久米村(クニンダ)は程、林、孫、曽、陳、周、魏など沖縄側から久米村に入籍し、生活文化、
血筋を共有する22姓が存在した。
鄭 義才 元橋 福建福州府長樂縣 洪武二十五年 長史
(1392年)
蔡 崇 弁亭 福建泉州府南安縣 洪武二十五年 不傅
(1392年)
梁 嵩 子江 福建福州府長樂縣 永楽年間 長史司
(1403~1425)
林 喜 祉止 福建福州府閔縣 洪武二十五年 通事
(1392年)
金 瑛 俊光 淅江人・元末南遊閔山 洪武二十五年 通事
紅 英 景華 不傅 閔人 洪武・永楽間 通事
(1368~1399) (1403~1425)
陳 萃 錫? 不傅 閔人 永楽年間 通事
(1403~1425)
王 立思 肖國 福建章州府龍溪縣 萬暦十九年(1591年) 通事
阮 明 文菴 福建章州府龍溪縣 萬暦十九年(1591年) 通事
阮 國 我? 福建章州府龍溪縣 萬暦三十五年(1607年) 都通事
毛 國鼎 台 福建章州府龍溪縣 萬暦三十五年(1607年) 長史司
鄭 肇祚 允保 福建福州府長樂縣 嘉靖年間 都通事
(1522~1566)
陳 萃 系出 萬暦四十五年(1617年) 都通事
楊 明州 淅江台州府 順治五年(1648年) 訓詁師
蔡 崇貴 福建西門外 嘉靖年間、豊後国より
(1522~1566)
久米村(クニンダ)は程、林、孫、曽、陳、周、魏など沖縄側から久米村に入籍し、生活文化、
血筋を共有する22姓が存在した。
2011年04月22日
沖縄の名字の歴史
14世紀頃、当時の『明』(現在の中国)国より久米三十六姓とよばれる職能集団が、
琉球と明との交流(進貢貿易)をになう人々として琉球へやってきた。
中国人は紀元前の昔から『姓(氏)+諱』という姓名と『号』(童名:通称で呼ぶ名)
の両方の名があった。当然、久米三十六姓もその子孫もそうであった。
いっぽう、その頃の琉球人は、名字は持たず『模都古(まとぅくぅ)』や『実達魯(みたる)』
など名しか持っていなかったが、このころ久米三十六姓の影響もあって、琉球の士族も
唐名を持つようになった。王は『尚』、その他『翁、馬、毛』などがる。
16世紀になって官位(官職)が確立されると、士族は、家名(やーんな)を持つようになる。
地頭職を賜ると同時に領地を賜る、総地頭と脇地頭があるが、総地頭はひと間切り、現代の
市町村、脇地頭は現代の部落・集落区、総地頭は王子、按司、多大な功績のある親方が
なり、親方クラスは、脇地頭、親雲上(ぺーくみー or ぺーちん)でも脇地頭がいた。
例えば小禄間切の大嶺部落の脇地頭に任命されたとしよう、するとその方は、大嶺親方とか
大嶺親雲上と呼ばれ、この大嶺が家名(やーんな)になるわけである。但し功績有無により
領地替えが発生するが、小禄間切の湖城部落に変わると湖城親方となり湖城が家名になる。
親子や兄弟でも領地が異なれば、家名も異なっていた。姓の歴史としては、1690年に『琉陽』に
姓を賜ったという記事がある。王族・士族は「姓(氏)+諱+家名+称号+名乗」という構成だった。
領地を持たない士族は、名島(なじま)という名目だけの領地名を賜り、家名とした。
領地がなくなった士族は過去の拝領していた土地を家名として使っている場合があり、
また、本家は領地があるけど、分家は領地がなく、そのため本家が拝領している地域名を
家名にする場合あった。
名乗(なのり)は日本風の名で、最初の一字の名乗頭(なのりがしら)は、姓ごとに漢字が決まっており、向氏(王家子孫)は、すべて最初に「朝」の一字が付いていた。
「姓(氏)+諱+家名+称号+名乗」の具体例
宜湾朝保の正式名
向有恒宜湾親方朝保(しょうゆうこうぎわんうぇかたちょうほ)
向 姓(氏)
有恒 諱 姓と諱を合わせて唐名(からな)
宜湾 家名、苗字
親方 称号、位階
朝保 名乗 家名と称号と名乗を合わせて大和名(やまとな)という。
なお、久米村(クニンダ)士族は名乗頭をもたない。例えば『鄭迵謝名親方利山』
「姓(氏)+諱+家名+称号+号(童名)」と一門が分かるようにと名乗というのは
もたないのである。クニンダは、姓(氏)名で門中を認識している。
さて時代が、明治に入り国民全て姓名をもつようにと決まり、あわてたのが百姓である。
士族は、家名がそのまま姓で名乗が名になったが、当時百姓はまだ名しか持っていない上に
読み書きが出来ないのがほとんどである。やはり地名を挙げるのがほとんどであるが、役所に
届けようにも、字が書けない字を書ける人に代筆をお願いして届け出たようである。
それでその当時のエピソードをひとつ挙げてみましょう。
ある集落で、地頭代(村の長)しか読み書きできる人がおらず、その方が名字を○○さんにして
提出した。すると、他の村人が、私も村の長殿と同じ名字でいいと村の長に代筆をお願いした。
すると私も、私もと名乗りでて、村のほとんどが○○さんになったという話があります。
それで沖縄のあちらこちらで、村の半数が同姓という集落があるわけです。
琉球と明との交流(進貢貿易)をになう人々として琉球へやってきた。
中国人は紀元前の昔から『姓(氏)+諱』という姓名と『号』(童名:通称で呼ぶ名)
の両方の名があった。当然、久米三十六姓もその子孫もそうであった。
いっぽう、その頃の琉球人は、名字は持たず『模都古(まとぅくぅ)』や『実達魯(みたる)』
など名しか持っていなかったが、このころ久米三十六姓の影響もあって、琉球の士族も
唐名を持つようになった。王は『尚』、その他『翁、馬、毛』などがる。
16世紀になって官位(官職)が確立されると、士族は、家名(やーんな)を持つようになる。
地頭職を賜ると同時に領地を賜る、総地頭と脇地頭があるが、総地頭はひと間切り、現代の
市町村、脇地頭は現代の部落・集落区、総地頭は王子、按司、多大な功績のある親方が
なり、親方クラスは、脇地頭、親雲上(ぺーくみー or ぺーちん)でも脇地頭がいた。
例えば小禄間切の大嶺部落の脇地頭に任命されたとしよう、するとその方は、大嶺親方とか
大嶺親雲上と呼ばれ、この大嶺が家名(やーんな)になるわけである。但し功績有無により
領地替えが発生するが、小禄間切の湖城部落に変わると湖城親方となり湖城が家名になる。
親子や兄弟でも領地が異なれば、家名も異なっていた。姓の歴史としては、1690年に『琉陽』に
姓を賜ったという記事がある。王族・士族は「姓(氏)+諱+家名+称号+名乗」という構成だった。
領地を持たない士族は、名島(なじま)という名目だけの領地名を賜り、家名とした。
領地がなくなった士族は過去の拝領していた土地を家名として使っている場合があり、
また、本家は領地があるけど、分家は領地がなく、そのため本家が拝領している地域名を
家名にする場合あった。
名乗(なのり)は日本風の名で、最初の一字の名乗頭(なのりがしら)は、姓ごとに漢字が決まっており、向氏(王家子孫)は、すべて最初に「朝」の一字が付いていた。
「姓(氏)+諱+家名+称号+名乗」の具体例
宜湾朝保の正式名
向有恒宜湾親方朝保(しょうゆうこうぎわんうぇかたちょうほ)
向 姓(氏)
有恒 諱 姓と諱を合わせて唐名(からな)
宜湾 家名、苗字
親方 称号、位階
朝保 名乗 家名と称号と名乗を合わせて大和名(やまとな)という。
なお、久米村(クニンダ)士族は名乗頭をもたない。例えば『鄭迵謝名親方利山』
「姓(氏)+諱+家名+称号+号(童名)」と一門が分かるようにと名乗というのは
もたないのである。クニンダは、姓(氏)名で門中を認識している。
さて時代が、明治に入り国民全て姓名をもつようにと決まり、あわてたのが百姓である。
士族は、家名がそのまま姓で名乗が名になったが、当時百姓はまだ名しか持っていない上に
読み書きが出来ないのがほとんどである。やはり地名を挙げるのがほとんどであるが、役所に
届けようにも、字が書けない字を書ける人に代筆をお願いして届け出たようである。
それでその当時のエピソードをひとつ挙げてみましょう。
ある集落で、地頭代(村の長)しか読み書きできる人がおらず、その方が名字を○○さんにして
提出した。すると、他の村人が、私も村の長殿と同じ名字でいいと村の長に代筆をお願いした。
すると私も、私もと名乗りでて、村のほとんどが○○さんになったという話があります。
それで沖縄のあちらこちらで、村の半数が同姓という集落があるわけです。
2011年04月21日
近世琉球王国時代の身分制度
近世琉球王国時代の身分は、大きく分けて『士族』と『百姓』に分かれますが、
商工業人・農民共百姓のくくりで、商工業人が『百姓』または『町百姓』で、農民のことを
『田舎百姓』といっていた。当時商工業人のほとんどが、中央(首里・那覇)近郊に住んで
いましたが、農民は、少し中央と離れたところに住み農業を基盤としていました。
それで田舎百姓といったのでしょう。作り酒屋などは、首里近郊に集中していたようです。
士族階級は、大名方(だいみょうがた)と士(サムレー)と称する階層に分けられ、
大名方には王子・按司(アジ)・親方(エーカタ)が属していました。
大名方を本家とする士は里之子筋目(サトゥヌシすじめ)とよばれ、上級士族として要職に従事し、
それ以外の筑登之筋目(チクドゥンすじめ)は下級士族として一般事務にあたりました。
筑登之筋目出の士族でも多大な功績を挙げれば親方になり、里之子筋目(サトゥヌシすじめ)に
格上げされる事もありました。また、うちなー口で『こーいざむれー』(訳:金で侍の地位を買う)と
いって百姓でもお金で、筑登之筋目の位を買えた。
士族は、系図・家譜の作成を命じられて「系持(けいもち)」とよばれ、それを王府の系図座という
お役所に収める義務があった。それで士族の子孫は、わりと系図・家譜が残っているのでしょう。
大名方には王子・按司(アジ)・親方(エーカタ)が属していました。これらは最上位の支配者層で、
王府から一間切(マギリ・現在の市や町にあたる)の領地をあたえられました。王子・按司の広大な
屋敷を「○○御殿(ウドゥン)」、親方の屋敷を「○○殿内(ドゥンチ)」とよんでいました。
一般士族の屋敷も「○○殿内(ドゥンチ)」とよんでいました。
王子家も三世代までは「○○御殿(ウドゥン)」ですが、以降特に功績がなければ、
「○○殿内(ドゥンチ)」に格下げになるそうです。
2011年04月19日
うちなー口、ありんくりん6
戦前のうちなー口(沖縄方言)で育った世代の人は、ついついうちなー口を
大和口(標準語)に訳して、話してしまう時があり、その時、直訳してしまい
意味が通じなくて困ってしまったことがあると思います。
ひとつ例を挙げましょう。
ある沖縄の一般家庭での話ですが、この家の長女は、本土(内地)へ嫁ぎ、旦那様は
東京の人で次女の結婚式のため、長女夫婦共々帰省していました。そしてその結婚式当日晩の
出来事でした。披露宴も終え、自宅で宴もたけなわの時、長女婿に発したおかあさんのひとことが
長女婿を怒らせてしまったのです。
おかあさんがいった言葉とは『つかれたでしょう。倒れておきなさい』といってしまったのです。
長女婿は、『私はどこも悪くありません、なぜ倒れないといけないのですか???』・・・・
おかさんはうちなー口の『をぅーたとおぅさに、うひぃぐわぁーとーりとーけ』を直訳で言ってしまったのです。正しく訳すると『疲れたでしょう。少し横になって休んでいなさい。』なのですが、直訳でいったばかりに長女婿を怒らせてしまったということでした。
戦後育ちの標準語に慣れた世代ではあまりないと思いますが、あの元Jフライ級世界チャンピオン
具志堅用高さんのエピソードにも似たような話があります。
ある取材インタービューで『具志堅さんは、もしボクシングをやっていなければ、何をやっていたでしょう』という質問にたいして、『海を歩いていたでしょう』と答えたのでした。
インタービューアーは『海を歩く』?????・・・・
沖縄には、このようなエピソードはたくさんあるような気がします。
漁師=うみあっちゃー 直訳:海を歩く人
=うみんちゅ 直訳:海の人
農夫=はるあっちゃー 直訳:畑を歩く人
=はるさー 直訳:畑仕事の人
大和口(標準語)に訳して、話してしまう時があり、その時、直訳してしまい
意味が通じなくて困ってしまったことがあると思います。
ひとつ例を挙げましょう。
ある沖縄の一般家庭での話ですが、この家の長女は、本土(内地)へ嫁ぎ、旦那様は
東京の人で次女の結婚式のため、長女夫婦共々帰省していました。そしてその結婚式当日晩の
出来事でした。披露宴も終え、自宅で宴もたけなわの時、長女婿に発したおかあさんのひとことが
長女婿を怒らせてしまったのです。
おかあさんがいった言葉とは『つかれたでしょう。倒れておきなさい』といってしまったのです。
長女婿は、『私はどこも悪くありません、なぜ倒れないといけないのですか???』・・・・
おかさんはうちなー口の『をぅーたとおぅさに、うひぃぐわぁーとーりとーけ』を直訳で言ってしまったのです。正しく訳すると『疲れたでしょう。少し横になって休んでいなさい。』なのですが、直訳でいったばかりに長女婿を怒らせてしまったということでした。
戦後育ちの標準語に慣れた世代ではあまりないと思いますが、あの元Jフライ級世界チャンピオン
具志堅用高さんのエピソードにも似たような話があります。
ある取材インタービューで『具志堅さんは、もしボクシングをやっていなければ、何をやっていたでしょう』という質問にたいして、『海を歩いていたでしょう』と答えたのでした。
インタービューアーは『海を歩く』?????・・・・
沖縄には、このようなエピソードはたくさんあるような気がします。
漁師=うみあっちゃー 直訳:海を歩く人
=うみんちゅ 直訳:海の人
農夫=はるあっちゃー 直訳:畑を歩く人
=はるさー 直訳:畑仕事の人
2011年04月17日
うちなー口、ありんくりん5
結婚式について
結婚式のことを、うちナー口で『にーびち』といいます。
この『にーびち』の語源になったエピソードを小耳にはさんだので紹介します。
結婚式=にーびち 直訳:根を引く
昔は、親同士でいいなずけて結婚することが普通でした。
ある村で、年頃の娘がおりました。いいなずけと結婚することとなり
いよいよ旦那様になる青年がむかえにきました。
すると娘は嫁に行くのは嫌だと駄々をこねて裏庭へ飛び出していきました。
すると青年も家を出て追いかけていきました。
鬼ごっこみたいに逃げる娘を追いかける青年、ついには娘は裏庭の木にしがみつく始末です
娘はしがみついて離そうとしません。そこで青年はその木ごと根っこから引き抜いて、
つれて帰ったそうです。
この話が源で、『にーびち』となったと言うのです。
なんともおもしろい沖縄らしいといえば沖縄らしい。
結婚式のことを、うちナー口で『にーびち』といいます。
この『にーびち』の語源になったエピソードを小耳にはさんだので紹介します。
結婚式=にーびち 直訳:根を引く
昔は、親同士でいいなずけて結婚することが普通でした。
ある村で、年頃の娘がおりました。いいなずけと結婚することとなり
いよいよ旦那様になる青年がむかえにきました。
すると娘は嫁に行くのは嫌だと駄々をこねて裏庭へ飛び出していきました。
すると青年も家を出て追いかけていきました。
鬼ごっこみたいに逃げる娘を追いかける青年、ついには娘は裏庭の木にしがみつく始末です
娘はしがみついて離そうとしません。そこで青年はその木ごと根っこから引き抜いて、
つれて帰ったそうです。
この話が源で、『にーびち』となったと言うのです。
なんともおもしろい沖縄らしいといえば沖縄らしい。
2011年04月17日
うちなー口、ありんくりん4
うちなー口の家族の呼び方
戦前までほとんどの家庭で昔ながらの呼び方で呼んでいたようですが、
戦後は、内地風の呼び方に変わっていったようです。
士族とお百姓さんでは、家族の呼び方がちがいます。
そこで昔ながらの家族の呼び方を紹介します。
高級士族
おじーさん=たんめーさい
おばーさん=ぅんめーさい
おとうさん=たーりーめーさい
おかあさん=あやーめーさい
長兄=やっちーめーさい
次兄以下=なまえ + やっちー 例:カマデーやっちー or やっちーぐわぁー
長女=ぅんみーさい
次女以下=なまえ + ぅんみー 例:チルーぅんみー or ぅんみぐわぁー
中級・下級士族
おじーさん=たんめー
おばーさん=ぅんめー
おとうさん=たーりー
おかあさん=あんまー
長兄=やっちー
次兄以下=なまえ + やっちー 例:カマデーやっちー or やっちーぐわぁー
長女=ぅんみー
次女以下=なまえ + ぅんみー 例:チルーぅんみー or ぅんみぐわぁー
お百姓さん
おじーさん=うすめー
おばーさん=はーめー
おとうさん=すー
おかあさん=あんまー
長兄=あひー
次兄以下=なまえ + あひー 例:じらーあひー or あひぐわぁー
長女=?
次女以下=なまえ + ? 例:なびー? or ?ぐわぁー 呼び方が分かりません
分かる方教えて下さい。
私の父、叔母は70歳代ですが、叔母(父の妹)はいまだに父のことをやっちーと呼んでいます。
義叔父(父の姉の旦那さん(80歳代))は、いまだに父のことを字名(童名)で呼びます。
父の童名は、クニンダ独特といわれている『ハークー』といいます。
漢字でどう書くか分かりませんが恐らく『伯』ではないでしょうか?
70歳以上の方は、いまだに昔ながらの呼び方で呼ぶ方が多いのでは?
戦前までほとんどの家庭で昔ながらの呼び方で呼んでいたようですが、
戦後は、内地風の呼び方に変わっていったようです。
士族とお百姓さんでは、家族の呼び方がちがいます。
そこで昔ながらの家族の呼び方を紹介します。
高級士族
おじーさん=たんめーさい
おばーさん=ぅんめーさい
おとうさん=たーりーめーさい
おかあさん=あやーめーさい
長兄=やっちーめーさい
次兄以下=なまえ + やっちー 例:カマデーやっちー or やっちーぐわぁー
長女=ぅんみーさい
次女以下=なまえ + ぅんみー 例:チルーぅんみー or ぅんみぐわぁー
中級・下級士族
おじーさん=たんめー
おばーさん=ぅんめー
おとうさん=たーりー
おかあさん=あんまー
長兄=やっちー
次兄以下=なまえ + やっちー 例:カマデーやっちー or やっちーぐわぁー
長女=ぅんみー
次女以下=なまえ + ぅんみー 例:チルーぅんみー or ぅんみぐわぁー
お百姓さん
おじーさん=うすめー
おばーさん=はーめー
おとうさん=すー
おかあさん=あんまー
長兄=あひー
次兄以下=なまえ + あひー 例:じらーあひー or あひぐわぁー
長女=?
次女以下=なまえ + ? 例:なびー? or ?ぐわぁー 呼び方が分かりません
分かる方教えて下さい。
私の父、叔母は70歳代ですが、叔母(父の妹)はいまだに父のことをやっちーと呼んでいます。
義叔父(父の姉の旦那さん(80歳代))は、いまだに父のことを字名(童名)で呼びます。
父の童名は、クニンダ独特といわれている『ハークー』といいます。
漢字でどう書くか分かりませんが恐らく『伯』ではないでしょうか?
70歳以上の方は、いまだに昔ながらの呼び方で呼ぶ方が多いのでは?
2011年04月16日
うちなー口、ありんくりん3
うちなー口では、目上の人に話す丁寧語の時のみ男言葉、女言葉がある。
男性は語尾に『サイ』を付け女性は語尾に『タイ』を付ける。
例
目上の人から質問
いゃーや まーからちゃが? 訳:君はどこからきたのだ?
男言葉答え
うぅー じぬぅわんううやまから ちゃーびたんさい 訳:はい、宜野湾の大山からまいりました。
女言葉答え
うぅー じぬぅわんううやまから ちゃーびたんたい 訳:はい、宜野湾の大山からまいりました。
目上の人への質問、男言葉
うんじゅなーや まーからちみぃそーちゃがさい? 訳:貴方さまは、どちらからいらしたのですか?
目上の人への質問、女言葉
うんじゅなーや まーからちみぃそーちゃがたい? 訳:貴方さまは、どちらからいらしたのですか?
目上の人の答え
じぬぅわんううやまから ちゃんどー 訳:宜野湾の大山から来たよ。
あいさつ男言葉
はいさい ちゅうーうがなびら 訳:こんにちは。
あいさつ女言葉
はいたい ちゅうーうがなびら 訳:こんにちは。
男言葉集
やいびーんさい 訳:そうでございます。
あいびらんさい 訳:そうではありません。
まーさいびーんさい 訳:おいしゅうございます。
かふうしでーびーんさい 訳:光栄でございます。
ちゃーびらさい 訳:ごめんください。
女言葉集
やいびーんたい 訳:そうでございます。
あいびらんたい 訳:そうではありません。
まーさいびーんたい 訳:おいしゅうございます。
かふうしでーびーんたい 訳:光栄でございます。
ちゃーびらたい 訳:ごめんください。
尊敬語で単語が違う言葉
いゃーや 訳:君は or お前は。
なーや 訳:貴方は。
うんじゅなーや 訳:貴方さまは。
男性は語尾に『サイ』を付け女性は語尾に『タイ』を付ける。
例
目上の人から質問
いゃーや まーからちゃが? 訳:君はどこからきたのだ?
男言葉答え
うぅー じぬぅわんううやまから ちゃーびたんさい 訳:はい、宜野湾の大山からまいりました。
女言葉答え
うぅー じぬぅわんううやまから ちゃーびたんたい 訳:はい、宜野湾の大山からまいりました。
目上の人への質問、男言葉
うんじゅなーや まーからちみぃそーちゃがさい? 訳:貴方さまは、どちらからいらしたのですか?
目上の人への質問、女言葉
うんじゅなーや まーからちみぃそーちゃがたい? 訳:貴方さまは、どちらからいらしたのですか?
目上の人の答え
じぬぅわんううやまから ちゃんどー 訳:宜野湾の大山から来たよ。
あいさつ男言葉
はいさい ちゅうーうがなびら 訳:こんにちは。
あいさつ女言葉
はいたい ちゅうーうがなびら 訳:こんにちは。
男言葉集
やいびーんさい 訳:そうでございます。
あいびらんさい 訳:そうではありません。
まーさいびーんさい 訳:おいしゅうございます。
かふうしでーびーんさい 訳:光栄でございます。
ちゃーびらさい 訳:ごめんください。
女言葉集
やいびーんたい 訳:そうでございます。
あいびらんたい 訳:そうではありません。
まーさいびーんたい 訳:おいしゅうございます。
かふうしでーびーんたい 訳:光栄でございます。
ちゃーびらたい 訳:ごめんください。
尊敬語で単語が違う言葉
いゃーや 訳:君は or お前は。
なーや 訳:貴方は。
うんじゅなーや 訳:貴方さまは。
2011年04月14日
うちなー口、ありんくりん2
うちナー口での『心』、『心情』の表現
『心』は『肝(ちむ)』で表すことが多い。
うちなー口の『肝(ちむ)』の方が表現方法が多いきがします。
心苦しい=(ちむぐりさん) 直訳は『肝苦しい』
心が痛い=(ちむやむん) 直訳は『肝痛い』
ドキドキする=(ちむどぅんどぅんすっさー) 直訳は『肝がドキドキする』
心持ちの良い人=(ちむぬゆたさるちゅやん) 直訳は『肝の良い人』
心晴々と=(ちむはりばりーとぅ) 直訳は『肝晴々と』
心清らかな人(ちむじゅらさん ちゅ) 直訳は『肝の清らかな人』
肝に銘じておく=(ちむにすみてぃ) 直訳は『肝に染めて』
(ちむにとぅみてぃ) 直訳は『肝に止め置いて』
肝を潰す、肝を冷やす=(ちむうどぅるぅかち) 直訳は『肝が驚いた』 かな?
気が晴れた、満足した=(ちむふじゃん) 直訳は『肝が落ち着いた』 かな?
気があせる=(ちむあしがち) 直訳は『肝があせる』
胸騒ぎがする=(ちむさーさーすん) 直訳は『肝がざわざわする』
うちなー口で、短文で情緒あることばも大和口でいうと長文になる場合がよくあります。
例えば即興で琉歌を作りました(字余り)
さとぅ うむ ちむ ちむ わみ く ちむ
里がくとぅ思てぃ 肝ん肝ならん我身ぬ 焦がりゆる肝や いちゃがすら。
訳すると
『里主(お慕いする若お侍)のことを思うと、気持ちの高ぶりを自分でもどうしようもなく
どんどん恋焦がれていってしまう。この気持ちをいったいどうすればいいの』
とこんな具合いになろうかと思います。
肝ん肝ならんの表現がうちなー口ならではの表現で
6文字ですが、思いの深さが伺いしれます。
直訳すると『心が心でない』になりますが、それでは情緒がない。
最近よく耳にするうちなー口で『ちゅらさん』があります。
この『ちゅらさん』の言葉で、大和口の二つの言葉を表現できます。
美しい=ちゅらさん
清らか=ちゅらさん
例
あの人とっても美人だね=あぬぅちゅ いっぺー ちゅらさんやー
=あぬぅちゅ いっぺー ちゅらかーぎやんやー
ここの景色とても美しい=くまぬぅ ちーしち いっぺー ちゅらさん
この湧き水澄んでてきれい=くぬぅ わちみじ しーりてぃ ちゅらさん
あの人気持ちの清い人だ=あぬぅちゅ しむちぬ ちゅらさん ちゅやん
あの人顔形、姿が美しい=あぬぅちゅ かーぎしがたぬぅ ちゅらさん
『心』は『肝(ちむ)』で表すことが多い。
うちなー口の『肝(ちむ)』の方が表現方法が多いきがします。
心苦しい=(ちむぐりさん) 直訳は『肝苦しい』
心が痛い=(ちむやむん) 直訳は『肝痛い』
ドキドキする=(ちむどぅんどぅんすっさー) 直訳は『肝がドキドキする』
心持ちの良い人=(ちむぬゆたさるちゅやん) 直訳は『肝の良い人』
心晴々と=(ちむはりばりーとぅ) 直訳は『肝晴々と』
心清らかな人(ちむじゅらさん ちゅ) 直訳は『肝の清らかな人』
肝に銘じておく=(ちむにすみてぃ) 直訳は『肝に染めて』
(ちむにとぅみてぃ) 直訳は『肝に止め置いて』
肝を潰す、肝を冷やす=(ちむうどぅるぅかち) 直訳は『肝が驚いた』 かな?
気が晴れた、満足した=(ちむふじゃん) 直訳は『肝が落ち着いた』 かな?
気があせる=(ちむあしがち) 直訳は『肝があせる』
胸騒ぎがする=(ちむさーさーすん) 直訳は『肝がざわざわする』
うちなー口で、短文で情緒あることばも大和口でいうと長文になる場合がよくあります。
例えば即興で琉歌を作りました(字余り)
さとぅ うむ ちむ ちむ わみ く ちむ
里がくとぅ思てぃ 肝ん肝ならん我身ぬ 焦がりゆる肝や いちゃがすら。
訳すると
『里主(お慕いする若お侍)のことを思うと、気持ちの高ぶりを自分でもどうしようもなく
どんどん恋焦がれていってしまう。この気持ちをいったいどうすればいいの』
とこんな具合いになろうかと思います。
肝ん肝ならんの表現がうちなー口ならではの表現で
6文字ですが、思いの深さが伺いしれます。
直訳すると『心が心でない』になりますが、それでは情緒がない。
最近よく耳にするうちなー口で『ちゅらさん』があります。
この『ちゅらさん』の言葉で、大和口の二つの言葉を表現できます。
美しい=ちゅらさん
清らか=ちゅらさん
例
あの人とっても美人だね=あぬぅちゅ いっぺー ちゅらさんやー
=あぬぅちゅ いっぺー ちゅらかーぎやんやー
ここの景色とても美しい=くまぬぅ ちーしち いっぺー ちゅらさん
この湧き水澄んでてきれい=くぬぅ わちみじ しーりてぃ ちゅらさん
あの人気持ちの清い人だ=あぬぅちゅ しむちぬ ちゅらさん ちゅやん
あの人顔形、姿が美しい=あぬぅちゅ かーぎしがたぬぅ ちゅらさん
2011年04月10日
平成23年度、鄭(義才)氏門中会神御清明
平成23年度の鄭義才を祖とする門中の清明祭が厳かにとり行われ
ました。識名霊園の鄭氏宗家(湖城家)御墓のナー(庭)に入りき
れない程の人数で、弁当を120食用意しましたが全部売り切
れて足りなくなる程でした。
我々の神御清明は、人数が多い為一般の清明祭と少し違い、
式次第に則り粛々と進行していきます。
不肖わたくしひーじゃーも、司会を務めなんとか滞りなく済んで
安心しております。
本年度の式次第を以下に記載します。
1.開会の言葉・・・・・・・八木 明達(副会長)
2.士帝君礼拝・・・・・・・大宗家(湖城 裕)
3.焼香・・・・・・・・・・・・・全員
4.会長挨拶・・・・・・・・・宇地原 徳淳
5.会計報告・・・・・・・・・上原 功吉
6.乾杯・・・・・・・・・・・・・宇地原 徳欣(幹事)
7.近況報告
*謝名(鄭迵)利山親方について・・・宜保 隆(副会長)
*門中レポート書説明・・・・・・・・・・・饒平名 秀昌(幹事)
8.閉会の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上原 政英(副会長)
こんな具合で約1時間半位の時間を掛けて行います。
7番目の近況報告あたりで、うさんでーのご馳走や弁当を
食しながら進めます。
清明祭の模様を、以下に写真で紹介します。











左側が謝名親方のお墓
左側の赤い旗が1994年中国福湖
鄭氏会より賜った旗で右側が2000
年に賜った旗それを指し示している
のが不肖わたくしひーじゃです。
入りきれない人が外側
から覗く
受付の模様
ました。識名霊園の鄭氏宗家(湖城家)御墓のナー(庭)に入りき
れない程の人数で、弁当を120食用意しましたが全部売り切
れて足りなくなる程でした。
我々の神御清明は、人数が多い為一般の清明祭と少し違い、
式次第に則り粛々と進行していきます。
不肖わたくしひーじゃーも、司会を務めなんとか滞りなく済んで
安心しております。
本年度の式次第を以下に記載します。
1.開会の言葉・・・・・・・八木 明達(副会長)
2.士帝君礼拝・・・・・・・大宗家(湖城 裕)
3.焼香・・・・・・・・・・・・・全員
4.会長挨拶・・・・・・・・・宇地原 徳淳
5.会計報告・・・・・・・・・上原 功吉
6.乾杯・・・・・・・・・・・・・宇地原 徳欣(幹事)
7.近況報告
*謝名(鄭迵)利山親方について・・・宜保 隆(副会長)
*門中レポート書説明・・・・・・・・・・・饒平名 秀昌(幹事)
8.閉会の言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・・上原 政英(副会長)
こんな具合で約1時間半位の時間を掛けて行います。
7番目の近況報告あたりで、うさんでーのご馳走や弁当を
食しながら進めます。
清明祭の模様を、以下に写真で紹介します。
左側が謝名親方のお墓
左側の赤い旗が1994年中国福湖
鄭氏会より賜った旗で右側が2000
年に賜った旗それを指し示している
のが不肖わたくしひーじゃです。
入りきれない人が外側
から覗く
受付の模様
2011年04月05日
うちなー口、ありんくりん
ある言語学者は、昔の日本の口語体が沖縄で現在でも使われていると言う説があります。それは、‘候’文です。
例えばうちナー口謙譲語『うさがみそーれー』や『めんそうれー』
直訳すると『お召し上がり候』『参り候』
この言葉はいまでも普通にお年寄りに話すうちなー口です。
昔の日本の口語体が沖縄に残っているとはロマンがありますね。
『御前』はおんまえとかごぜんというふうにいいますが、実はここ
沖縄でも昔は、普通に使っていました。ただ沖縄では‘ウメー’と
発音します。安司(大名)など身分の高い人に尊称で家の名と合わせて松山御前(まちやまうめー)、
本部御前(もとぅぶうめー)といっていました。
その最たるものが沖縄の位牌、尊御前(とうとうめー)御尊(うーとうとう)等があります。
うちなー口では‘お’は‘う’と発音します
御菓子(うくわぁーし)
御願い(うぐわぁん)
御清明(うしーみぃ)
うちなー口では‘つ’は‘ち’と発音し、‘き’を‘ち’と発音し、‘く’も‘ち’と発音する場合があります。
月(ちち)
今日(ちゅう)
来る(ちゅーん)
来ない(くーん)
兄弟(ちょーでー)
うちなー口では親しみを込めて’小’(ぐわぁー)を使っていたが、最近ではあまり使わなくなった。
物にたいして言う場合と人に対していう場合がある。
人形小(にんぎょうぐわぁー) *お人形ちゃんかな?
三輪車小(さんりんしゃぐわぁー) *かわいい三輪車かな?
ハンマー小(ハンマーぐわぁー) *大小分ける意味でも使用したこの場合小さいハンマー
大きいハンマーは、普通にハンマーと呼ぶ
小雨が降っている=(あみぃぐわぁーふとーん)
雨が降っている =(あみぃふとーん)
琉球王国時代は人に対して’小’(ぐわぁー)をよく使っていたようであるが、現在では民謡や琉歌に
残っているだけでほとんど使わない。
無僧小(んぞぐわぁー) *私のかわいい子かな?
兄弟小(ちょーでーぐわぁー)*かわいい兄弟たちかな?
チル小(ちるぐわぁー) *恋人の名前よぶとき後ろにつけた
思やー小(うむやーぐわぁー) *思いをよせる人を指すことば
愛しい小(かなしいぐわぁー) *思いをよせる人を指すことば
形容詞が名詞に?
いま普通に名詞として使っている言葉で『’サーターアンダアギー』や『’シークワァーサー』がある
直訳すると『砂糖を油で揚げた物』と『酸を食わせる物』元々名詞でもないのにいつから名詞
になったんでしょう?
私に言わせれば沖縄版ドーナツも西洋のドーナツもいわゆるサータアンダアギーだし
ヒラミレモンやレモン、アセロラはシークワァーサーなのである。
砂糖=サータ
油 =アンダ
揚げ物=アギー
酸=シー
食わせる=くわぁーすん
すっぱい=シーサン
辛い=カラサン
甘い=アマサン
塩辛い=スーカラサン or スーズーサン
例えばうちナー口謙譲語『うさがみそーれー』や『めんそうれー』
直訳すると『お召し上がり候』『参り候』
この言葉はいまでも普通にお年寄りに話すうちなー口です。
昔の日本の口語体が沖縄に残っているとはロマンがありますね。
『御前』はおんまえとかごぜんというふうにいいますが、実はここ
沖縄でも昔は、普通に使っていました。ただ沖縄では‘ウメー’と
発音します。安司(大名)など身分の高い人に尊称で家の名と合わせて松山御前(まちやまうめー)、
本部御前(もとぅぶうめー)といっていました。
その最たるものが沖縄の位牌、尊御前(とうとうめー)御尊(うーとうとう)等があります。
うちなー口では‘お’は‘う’と発音します
御菓子(うくわぁーし)
御願い(うぐわぁん)
御清明(うしーみぃ)
うちなー口では‘つ’は‘ち’と発音し、‘き’を‘ち’と発音し、‘く’も‘ち’と発音する場合があります。
月(ちち)
今日(ちゅう)
来る(ちゅーん)
来ない(くーん)
兄弟(ちょーでー)
うちなー口では親しみを込めて’小’(ぐわぁー)を使っていたが、最近ではあまり使わなくなった。
物にたいして言う場合と人に対していう場合がある。
人形小(にんぎょうぐわぁー) *お人形ちゃんかな?
三輪車小(さんりんしゃぐわぁー) *かわいい三輪車かな?
ハンマー小(ハンマーぐわぁー) *大小分ける意味でも使用したこの場合小さいハンマー
大きいハンマーは、普通にハンマーと呼ぶ
小雨が降っている=(あみぃぐわぁーふとーん)
雨が降っている =(あみぃふとーん)
琉球王国時代は人に対して’小’(ぐわぁー)をよく使っていたようであるが、現在では民謡や琉歌に
残っているだけでほとんど使わない。
無僧小(んぞぐわぁー) *私のかわいい子かな?
兄弟小(ちょーでーぐわぁー)*かわいい兄弟たちかな?
チル小(ちるぐわぁー) *恋人の名前よぶとき後ろにつけた
思やー小(うむやーぐわぁー) *思いをよせる人を指すことば
愛しい小(かなしいぐわぁー) *思いをよせる人を指すことば
形容詞が名詞に?
いま普通に名詞として使っている言葉で『’サーターアンダアギー』や『’シークワァーサー』がある
直訳すると『砂糖を油で揚げた物』と『酸を食わせる物』元々名詞でもないのにいつから名詞
になったんでしょう?
私に言わせれば沖縄版ドーナツも西洋のドーナツもいわゆるサータアンダアギーだし
ヒラミレモンやレモン、アセロラはシークワァーサーなのである。
砂糖=サータ
油 =アンダ
揚げ物=アギー
酸=シー
食わせる=くわぁーすん
すっぱい=シーサン
辛い=カラサン
甘い=アマサン
塩辛い=スーカラサン or スーズーサン
2011年04月05日
消えゆく、うちなー口(沖縄方言)
私ひーじゃーは、ぎりぎり最後の方言世代であり、幼少時はうちなー口で育ちました。
おもしろいエピソードがあります。
3歳児のひーじゃーが、ある日お腹が痛いとおばーに訴えました。
すぐさまおばーに病院につれていってもらって医者の診察が始まりました。
お医者様はこう言いました『僕、おなかが痛いの?、頭が痛いの?、どこが痛いの?』
ことばが分からないひーじゃーは、きょとんとして、この人なに言っているのだろうと困惑していました。そこへ正義の味方おばーがつかさず『んじー、んぞぐわぁーよ、わたるやむんなー、ちぶるるやむんなー』と通訳してくれたのでした。ひじゃーは、即答しました。おばーわたやむんどー、
おばーは、お医者さまに『お腹痛いって』と告げました。!!
大人になってからこのエピソード聞いた本人は、大笑いでした。
そこで、消え行く方言を危惧しているひーじゃーのいま思うこと
まず近頃若者の会話を聞くと実に不可解な言葉を連発します。
いわゆる‘うちなー大和口’になると思いますが、誤った使いかた
をしています。
会話例を挙げると
A:やーいそがいしか?
B:でーじいそがしいやっさー。
B:やーダルビッシュみたか?
A:みたよー、でーじまぎーやったっさー
ひーじゃーが思うに‘でーじ(大事)’という言葉は、最大級を表すのではなく、重要な、大事なという意味で表していた気がします。
例えば『でーじなとうさー、山田ぐわぁーぬ博、事故うくち入院そーんでぃろー』 訳すると、『大事だよ、山田さんちの博君が事故を起こして入院したそうだ』
さらに例を挙げれば、『明よー、りっかーあまぬはるからスイカぬすりくー、あいえーでーじやっさー、かちみらってぃくるさりーんどすぐ』
訳すると『明君、あそこの畑からスイカを盗んでこようよ、
そんなことしたら大事だよ、捕まって叩かれるよ』
と、こんな具合で使っていた気がします。
上記AさんとBさんの会話を正しい方言でいうと
A:いゃーや、いちゅなさんなー?
B:いっぺーいちゅなさんどー Or うすまさいちゅなさんどー Or うむちかいちゅなさんどー
訳すると
A:あなた、いそがしいですか?
B:とてもいそがしいですよ。
直訳:いっぺーいちゅなさんどー。(いっぱいいそがしい)
うすまさいちゅなさんどー (とてもいそがしい)
うむちかいちゅなさんどー(思いのほかいそがしい)
B: いゃーやダルビッシュんちちゃんな?
A: んちゃんどー、うむちかまぎさたっさー
訳すると
B: あなた、ダルビッシュ見てきたの?
A: 見てきたよ、思いのほか大きい人だった。
若者会話その2
A:やったー弟内地行くばー?
B:高校卒業したら内地の会社に就職するばーよ。
A:だあるばー
これを正しい方言でいうと
A:いったーうっとぅ内地行ちゅんでぃ?
B:高校卒業しーねー内地ぬ会社かぃいーんでぃーぬはなしぃどぉ。
A:あんどぅやるい or やんでぃー or いぇーあんし
訳すると
A:あなたの弟内地行くんだって?
B:高校卒業したら内地の会社に就職するといっているよ。
A:そうなんだ
直訳すると
あんどぅやるい(そうなんだ)
やんでぃー(そうか)
いぇーあんし(ふーん なるほど)
とこんなふうになろうかと思います。
大和口と合わさっておかしな言葉になっているのが残念ですが、これが普通に通用している
現代ですのでうちなー口が無くなっていくのは時間の問題でしょう。
うちなー口が無くなっていくのは、さびしい限りですね。
おもしろいエピソードがあります。
3歳児のひーじゃーが、ある日お腹が痛いとおばーに訴えました。
すぐさまおばーに病院につれていってもらって医者の診察が始まりました。
お医者様はこう言いました『僕、おなかが痛いの?、頭が痛いの?、どこが痛いの?』
ことばが分からないひーじゃーは、きょとんとして、この人なに言っているのだろうと困惑していました。そこへ正義の味方おばーがつかさず『んじー、んぞぐわぁーよ、わたるやむんなー、ちぶるるやむんなー』と通訳してくれたのでした。ひじゃーは、即答しました。おばーわたやむんどー、
おばーは、お医者さまに『お腹痛いって』と告げました。!!
大人になってからこのエピソード聞いた本人は、大笑いでした。
そこで、消え行く方言を危惧しているひーじゃーのいま思うこと
まず近頃若者の会話を聞くと実に不可解な言葉を連発します。
いわゆる‘うちなー大和口’になると思いますが、誤った使いかた
をしています。
会話例を挙げると
A:やーいそがいしか?
B:でーじいそがしいやっさー。
B:やーダルビッシュみたか?
A:みたよー、でーじまぎーやったっさー
ひーじゃーが思うに‘でーじ(大事)’という言葉は、最大級を表すのではなく、重要な、大事なという意味で表していた気がします。
例えば『でーじなとうさー、山田ぐわぁーぬ博、事故うくち入院そーんでぃろー』 訳すると、『大事だよ、山田さんちの博君が事故を起こして入院したそうだ』
さらに例を挙げれば、『明よー、りっかーあまぬはるからスイカぬすりくー、あいえーでーじやっさー、かちみらってぃくるさりーんどすぐ』
訳すると『明君、あそこの畑からスイカを盗んでこようよ、
そんなことしたら大事だよ、捕まって叩かれるよ』
と、こんな具合で使っていた気がします。
上記AさんとBさんの会話を正しい方言でいうと
A:いゃーや、いちゅなさんなー?
B:いっぺーいちゅなさんどー Or うすまさいちゅなさんどー Or うむちかいちゅなさんどー
訳すると
A:あなた、いそがしいですか?
B:とてもいそがしいですよ。
直訳:いっぺーいちゅなさんどー。(いっぱいいそがしい)
うすまさいちゅなさんどー (とてもいそがしい)
うむちかいちゅなさんどー(思いのほかいそがしい)
B: いゃーやダルビッシュんちちゃんな?
A: んちゃんどー、うむちかまぎさたっさー
訳すると
B: あなた、ダルビッシュ見てきたの?
A: 見てきたよ、思いのほか大きい人だった。
若者会話その2
A:やったー弟内地行くばー?
B:高校卒業したら内地の会社に就職するばーよ。
A:だあるばー
これを正しい方言でいうと
A:いったーうっとぅ内地行ちゅんでぃ?
B:高校卒業しーねー内地ぬ会社かぃいーんでぃーぬはなしぃどぉ。
A:あんどぅやるい or やんでぃー or いぇーあんし
訳すると
A:あなたの弟内地行くんだって?
B:高校卒業したら内地の会社に就職するといっているよ。
A:そうなんだ
直訳すると
あんどぅやるい(そうなんだ)
やんでぃー(そうか)
いぇーあんし(ふーん なるほど)
とこんなふうになろうかと思います。
大和口と合わさっておかしな言葉になっているのが残念ですが、これが普通に通用している
現代ですのでうちなー口が無くなっていくのは時間の問題でしょう。
うちなー口が無くなっていくのは、さびしい限りですね。



